寂しいとは
「寂しい」ということについて、以前記事にしたことがありましたが、お祝いごとや仕事などでハードルさんと私の予定が合わず、会えない日が続いています。
そして、私の仕事も忙しく、ろくに電話やLINEもできない状態。
電話は、してしまうと一言二言では絶対終われないので翌日の疲れを見越し避けています。
私達の就業時間にちょっとのズレがあり、そのズレた間に食事やお風呂をすませるため、なかなかLINEもスムーズにいきません。
そうなることについて、もっと寂しくなるかと思っていました。
でも、ちょっとセンチメンタルになる程度ですんでいます。
それはきっと、また会えるのを知っているから。
私もハードルさんも、お互いに会いたくて頑張っているので、会える日も決まっているし、それまでを乗り切るのみというか。
私は、不倫こそしていませんがあまり報われない恋愛をしてきた自負があり…
もう二度と会わないと決めた寂しさと何年も戦ったこともあります。
心が見えなくて、心を察しようとしたのに私には微塵も心を割く気がなかった寂しさを感じたこともあります。
全部、とてつもなく痛かった。
だから私は、人を好きになることが怖くて、わかり合うことが苦しくて、そしていつも一人で寂しかった。
ずっと一人だと思っていたから、寂しいなんて当たり前で、その寂しいを分け合える日がくるなんて想像もできなかった。
死んでしまった人には、二度と会えない。
それも知っているから、私は絶対またハードルさんに会えることを確信して寂しくないと言い張ります。
だって繋がっている。
きっと、繋がっているはず。
寂しくないといえば嘘になる。
でもそれも、私達の恋愛を盛り上げるスパイスか何かだと考えるようにしよう。
キザでクサいせりふがやたら染み入る今日この頃。笑