生きてる
知り合いが、いわゆる「できちゃった」そうです。
相手の男は結婚する気はないみたいで、彼女は産むか悩んでいるそう…
相談されても、私には答えようがないです。
人一人の命を、他人である私がどうこうアドバイスするなんてできないので、正直にそう伝えました。
そして彼女の中で答えは決まっていると思ったので。
こんな時、私はとてつもなく冷徹な人間だなって思うし、気の利いたアドバイスをしたり、電話をかけてあげたり、なんでできないのかなぁって思うんです。
でも、電話したって彼女の満足する答えを私が出してあげられるわけではないし、私ならそっとしておいてほしいと思うから余計に行動できません。
彼女は今苦しみの渦中にいて、これからの不安と新しい命の狭間で揺れているんだろうな、と思うのですが、それすら私には「生きてるって感じだなぁ」と、ぼうっと思ってしまったのです。
私が誰と深く対話するわけでもなく、毎日を捨てるように過ごし、時間を通過列車を眺めるように過ごしているその時に、彼女は好きな人との時間を刹那的ではありますが過ごしていたわけです。
人生は魂の修行だとスピリチュアルな世界のある分野ではいうそうですが、私の魂は何の為にこの世に出てきたのでしょう。
結婚せずに子どもを産みたいとかそういう話ではなく、衝動で、自分以外の誰かのために何かにまっすぐ向かっていったことが私にあっただろうかと思い返しました。
…ありませんでした(笑)
相手のためにしたことはすべて見返りを求めてのことですし、執着するくせにいざ自分が辛くなったら無慈悲に相手を突っぱねてきました。
だから、産むと決めても産まないと決めても私は彼女が羨ましい。
これは私の想いですが本気で自分に向き合って、まだ見ぬ命に向き合っている彼女を素晴らしいと思いました。
子どもができにくくて悩んでらっしゃる方もよくテレビやネットでみますが、自分の命に責任を持ち、まだ見ぬ命にきちんと向き合おうとされていて、すごいなぁと、どうか、その方にとり良い方に向かっていってほしいと願わずにはいられません。
私には人との向き合い方すらよく分からないので、きっとこれも普通の人からすれば限りなく表面的で薄っぺらいと思われると思いますが…
考えても考えても私には答えが出せなくて、いろんなことが難しいです。