抱きしめられること
物心ついてから、抱きしめられたことなんてありませんでした。
なんなら、ドラマとかで見る抱きしめるという行為に不安感すらあったものです。
なにこれ?縛られてるって怖くならないのかな?って。
うちの両親は抱きしめるなんてことはありえなかったですし、なんなら「気持ち悪い!」って嫌悪する事柄でした。
初めて抱きしめられたのは、高校の女友達にでした。
学校の校長先生を父に、教師を母に持つ彼女は本当に愛に溢れていて、なんのきっかけだったかぎゅっとしてくれたときに、私は逃げるタイミングを失い、初めて人の温もりに触れたのでした。
彼女はことあるごとに私のことを気にかけてくれ、先日もあった時にやはりこの子は暖かいなぁ、と再確認しました。
抱きしめられる、ということは一種の束縛なのだと、その後何人かの恋人にそうされて気づき、やっぱり私は人の体温が苦手だ。と実感しかけていたところに、ハードルさんがあらわれました。
大きな身体で、(今まで付き合った人の中で一番大きいです)ぎゅっとされて、身体が自由にならないこと。
その間に、すさまじい愛を送り込んでくれること。
ハードルさんと付き合って、その女友達と同じ性質のものを感じたんです。
きっと下心ではない、私を思ってしてくれること。
ハードルさんは、二人でいるときは私のことをぎゅーっとして、そのまま持ち上げてくるくる回ってくれるんです(笑)
そんなことはもちろん父にもされたことがないので、なんというか…甘えたい気持ちになります。
パパ!みたいな。笑
ここでいつも、私はハードルさんを好きな気持ちが恋愛か父の面影を投影してなのかわからなくなるのですが、どちらもくれるハードルさんをただすごいなぁと思っているというか。
もう、ハードルさんにはどうされたっていいんです。
目に見える愛なんて知らなかった命。
存在価値もなく自己否定で生き延びてきた命。
じゃあ、好きなようにしてくれたらいい、
その通りに生きる、その通りになる。
頭を撫でてくれたら、どれだけでも頑張れる。
抱きしめてくれたら、どんな嘘も見逃す。
キスしてくれたら順位を違う女に渡す。
身体を重ねてくれたら都合の良い女として生きる。
だからね、捨てないで。
一番じゃなくていいから、
ずっと見捨てないで。
見捨てられたら、私の人生も終わったに等しいのです。