アダルトチルドレンアラサーの婚活

もうすぐ32歳、見た目は派手でも残念ながらAC喪女の婚活記録です。

生きる意味

自分は、いずれ、死ぬ。

そのことに気づいたのは4〜5歳で、それからその恐怖とずっと戦って生きてきました。

自分がこの世にこうして自我を持って存在する意味を、ずっと考えてきました。

人は、私のことを考えすぎだと言う。

たしかに、そのせいで少し精神のバランスを崩しかけた時もありました。

生きている意味が、ずっと分からなかった。

自分の代わりなんて、ごまんといるし、唯一の親にはあまり平均的に見える愛をもらわなかったし、自己肯定感の少ないまま、死ねないまま、ここまできました。

ハードルさんが、私のことを見てくれるその視線だけで、私は愛されているんだと確信できるし、愛情表現のひとつひとつ、言葉のひとつひとつに愛がたくさんで、過呼吸を起こしそうになります。

胸が痛くなって、呼吸が浅くなって、身体がそれをまだ拒否しようとしているのかもしれません。

「お前がそんな思いをしていいはずがない」と。

なんどももうどうでもいいと諦めた命なので、もう一度生きてていいのかな、と思わせてくれたハードルさんのことをただ、支えていきたいのです。

第二の人生、とでもいうのでしょうか。

自分のことが、嫌いでした。

顔も、体型も、声も、性格も、全部。

でも、ハードルさんが私の顔を可愛いといつも褒めてくれて、綺麗だと抱きしめてくれて、ひねくれた性格も笑ってくれて。

生きていく意味が、ここにあればもうそれでいいと思いました。

ハードルさんが必要としてくれるうちは、頑張って生きよう。

そして、幸いにもハードルさんとの子どもを産むことができたなら、ハードルさんとその子のために生きて行こう。

これは歪んだ結婚観なのかもしれません。

でも、初めて愛で満たされる経験をさせてもらえたので、もうここからの人生はボーナスステージです。

例えハードルさんがDVに変貌しようとも、喧嘩の絶えない二人になってしまっても…

今、忘備録のように書いています。

私は、幸せです。

生きてきて、いちばん。

過去のどんな幸せな私にも見せてあげたいくらい、泣きそうなくらい、幸せです。

生きる意味、あったよ。