生きる意味
自分は、いずれ、死ぬ。
そのことに気づいたのは4〜5歳で、それからその恐怖とずっと戦って生きてきました。
自分がこの世にこうして自我を持って存在する意味を、ずっと考えてきました。
人は、私のことを考えすぎだと言う。
たしかに、そのせいで少し精神のバランスを崩しかけた時もありました。
生きている意味が、ずっと分からなかった。
自分の代わりなんて、ごまんといるし、唯一の親にはあまり平均的に見える愛をもらわなかったし、自己肯定感の少ないまま、死ねないまま、ここまできました。
ハードルさんが、私のことを見てくれるその視線だけで、私は愛されているんだと確信できるし、愛情表現のひとつひとつ、言葉のひとつひとつに愛がたくさんで、過呼吸を起こしそうになります。
胸が痛くなって、呼吸が浅くなって、身体がそれをまだ拒否しようとしているのかもしれません。
「お前がそんな思いをしていいはずがない」と。
なんどももうどうでもいいと諦めた命なので、もう一度生きてていいのかな、と思わせてくれたハードルさんのことをただ、支えていきたいのです。
第二の人生、とでもいうのでしょうか。
自分のことが、嫌いでした。
顔も、体型も、声も、性格も、全部。
でも、ハードルさんが私の顔を可愛いといつも褒めてくれて、綺麗だと抱きしめてくれて、ひねくれた性格も笑ってくれて。
生きていく意味が、ここにあればもうそれでいいと思いました。
ハードルさんが必要としてくれるうちは、頑張って生きよう。
そして、幸いにもハードルさんとの子どもを産むことができたなら、ハードルさんとその子のために生きて行こう。
これは歪んだ結婚観なのかもしれません。
でも、初めて愛で満たされる経験をさせてもらえたので、もうここからの人生はボーナスステージです。
例えハードルさんがDVに変貌しようとも、喧嘩の絶えない二人になってしまっても…
今、忘備録のように書いています。
私は、幸せです。
生きてきて、いちばん。
過去のどんな幸せな私にも見せてあげたいくらい、泣きそうなくらい、幸せです。
生きる意味、あったよ。