依存体質
人はみんな何かしらの依存症だ、と、精神科の名越先生がおっしゃってたと、しいたけ占いのしいたけさんがちょっと前にブログに書かれてました。
依存体質かそうでないか。
人が皆何かしらの依存症であると仮定した上で、巷で言われる依存体質であるかそうでないかの違いって、私は苦しみを伴うか伴わないかだと思うんです。
何かにただのめりこむことを依存症というとするならば、そりゃみんな何かにはのめりこんでるでしょう。
郷土の祭りだってそうだし、芸術だってそうです。なくなったら生きがいがなくなってしまうけど、その事柄に関わっている時は本当に幸せ、みたいなことはそれは大抵の人にはあると思います。
じゃあなんで依存症により苦しむ人と苦しまない人がいるのか。
やっぱり、自己評価がマイナスから始まるかゼロもしくはプラスから始まるかの違いなんじゃないかなー。と。
自己評価がゼロもしくはプラスから始まることのできる人って、のめりこんでも執着しても、それは自分にとってのさらに人生を豊かにする手段だと思っているだろうし、もしそれがなくなってもあ、ゼロになるだけだな。ってある程度したら切り替えられるイメージです。
対してマイナスから始まってる人は、それがなくなったらまたマイナスの自分になるのが怖くて、恐怖心と戦いながら依存しているイメージです。
ちなみに後者が私です。笑
なので全然前者のイメージなんて分からないので、勝手な妄言をお許しください。
多分、自分が自分でいて良いみたいな安心感が皆無なままこの歳になっちゃったんですよね。
いろいろなものを読んで、自分がACであることも理解して、対処法も学んだつもりで、自分で自分を癒そうとするんだけど、ついつい他人に逃げてしまう。
他人の評価で自分の価値を確かめたくなってしまう。
だから、恋愛なんて本当恐ろしいものなんですよ。
だって他人の評価で関係を結ぶわけじゃないですか。
自分が相手のことをどれだけ好きでも、相手からごめんなさい、って言われたらそこに特別な関係性は生まれないわけで。
相手からしかるべき自分への評価を得たから、特別な関係性に発展するんですよね。
それがもう、怖いですよね。
少しでも評価してくれそうな気配がしたら、マイナスの自分が相手をロックオンするんですよ。笑
この人を逃したら、また自己嫌悪の日々だぞ!!!って。
でも、知恵を得たもう一人の私は、
そんなことでは癒されないから、ちゃんと自分で分析して、対等に接することのできる人と本音でぶつかれる素地を作りなさい。
ってアドバイスするんです。
でももとからの依存体質の私の人格が、
うわぁーもうめんどくさい!どうせずっと一人なんだから、今好きな人に捨てられないように尽くせばいいじゃん!!!
どうせ、誰にだって捨てられんだし!
みたいな事を言ってくるわけです。
…どうせ誰にだって捨てられんだし。
これはもう、こびりついた思考ですね。
結局一時の感情のまま恋愛を始めてしまう。
そして相手に依存する。
もう、これ、やめたいんですよね。いい加減この歳なんで。
なので、今回は勉強した人格に従うことにします。
もっと勉強しなきゃ。
でも、思うんですよね。
もとからゼロやプラスの人って、こんな労力いらないんだよなー。って。(笑)